プロフィール

GENichi Sasaki
佐々木 源市
1962年生まれ。帯広市在住。

13歳のときから、E・ベースを始め、主にロック、フュージョン系のバンドを経て、21歳からW・ベースに転向し、地元ライブハウスでのセッションを中心に学ぶ。

1993年から網走に通い、アルトサックス奏者の吉井善満氏にジャズについて師事。網走、北見、岩見沢、旭川、釧路、札幌など道内各地域でのセッションやライブにも参加。

2002年から地元帯広でライブ活動を積極的に展開している。

さまざまなミュージシャンとの共演する中、自己のユニット「佐々木源市カルテット」と「モトコ ボーカル4」「堂山和芳トリオ」「藤原志津花ピアノトリオ」「NANAピアノトリオ」などのレギュラーメンバーとしても活躍中。

現在は、自ら経営するジャズスポット『B♭M7』(ビーフラットメジャーセブン)を拠点に様々なミュージシャンと共演し、ライブ活動を展開している。

「Jazz Spot B♭M7」のホームページ https://genbass.com/

略 歴

1962年(S37) 岩見沢にて誕生。その後、白糠⇒北見⇒阿寒⇒埼玉⇒帯広
1972年(S47) 帯広に移り住む。(小学5年生、10歳)
1974年(S49) 帯広第五中学校 入学。(12歳) 中学2年生の時に、学校祭でのロックのベースのサウンドに衝撃を受け心奪われる。 同時に「雑誌の歌本」ごとのコードの違いや「ユーミン」のアレンジに興味を持って、楽譜と和音の研究をする。(学力が低下し、親悩む。)内気なためにベースのことを人に言えずに、ひたすら個人練習。

1977年(S52) 帯広工業高校 土木科(16期)入学(15歳) 内気な自分を変えるため、心機一転、高校生活に望む。そのかいもあり、「チューリップ」のコピーバンドを組む。あまり、「チューリップ」は好きではなかったが、途中から好きになる。高校2年生から、ある楽器店でバイトをする。そこで、フュージョン、ジャズなどと出会う事となる。この時に「スタンリー・クラーク」に興味 があり、スタンリーがW・ベースを弾くという事を知りW・ベースにあこがれる。 ジャンルを超え、様々なジャンルに興味を持つ。

1980年(S55) そのまま、その楽器店に就職。(18歳) 自分のバンドも持ちながらも、いろいろなジャンルのバンドにも参加して活動をする。

1981年(S56) 1代目のW・ベースを購入。(19歳) フュージョンにはまりながらも、W・ベースへの興味も深くなる。その時期、毎月の売上ノルマー足りないため自分でスズキのW・ベースを購入。しかし、このときは、まだ、フュージョンが主でジャズはあまり好きでもなく3ヶ月以上、ショーウィンドウに飾ったまま。

1983年(S58) 本格的にW・ベースに転向。(21歳) フレットレスのフェンダージャズベース以外は、全て手放し、本格的にW・ベースに転向。そのために、ジャズも聴こうと試みる。

1984年(S59) 2代目のW・ベースを購入。(22歳) ある日、練習が終わり自宅に帰ってきた時の事、車から楽器を降ろして立てた瞬間に手がすべり、転倒させてしまい指板がはがれてしまいました。それをきっかけに、ペルマンのオールド(1968)を購入。「add」のセッションにも参加し、いろいろな土地のいろいろな人と出会いが始まる。
1993年(H05) 網走で活動。(31歳) 網走の吉井さんの好意により、呼んで頂いたのがきっかけで、毎月一回以上、通い、網走のビックバンドにも所属。(7年間)ここで、学んだ事は自分の大きな力となっています。 この頃から、「add」で出会った方のところへセッションしに行くことも多くなる。釧路、網走、北見、旭川、岩見沢、札幌など。
2002年(H14) 自主ライブ「DUO」開催(40歳) 「40歳を節目にする為」「自分の力を試す為」「帯広で活動を始めるきっかけの為」という意で久米田義行(P)、TAKEMI(Vo)と共に「DUO」というタイトルのライブを行う。
2004年(H16.8.1) Live&Concert Bar「B♭M7」開店 拠点を作り、更に活動に拍車がかかる。拠点を中心に地元ミュージシャンも増える。
2007年(H19.8) Jazz Spot「B♭M7」改名、移転たくさんのプロミュージシャンも来て頂き、地元ミュージシャンとも交流が増える。
2013年(H25.2) マスヤビル地下に移転。2012年(H24.12)に店を閉めることを決意したのですが、たくさんの方の応援とマスヤパンの会長の御好意で店を再開。 m(__)m 更に交流が広がり現在に至る。
ユーミン→チューリップ→ハードロック→その他色々→フュージョン→ジャズ→現在に至る